2015年02月21日

吉野静

女人禁制の吉野山で、義経と静御前は泣く泣く別れ、
義経は奥州に、静御前は京都へ向かったといいます。



吉野山 とは


奈良県中部、大峰山脈北端の尾根の称。

南朝の所在地で史跡に富み、また金峰山寺(きんぶせんじ)蔵王堂があり、修験道の根拠地。
桜の名所で、平安中期から寄進により植えられた。




吉野静
『吉野静』  筑紫歌都子 作曲   角田嘉久 作詞


曲の解説  

源義経の愛妾(あいしょう) “静御前” のやるせない気持ちを唄っています。



別れにし 人はいずこと
み吉野の 吉野の山に 花散らふ
定めなき世の行く末を
鳴きてか来らん呼子鳥(よぶこどり)

  しずやしず しずやしず
  しずのおだまきくりかえし 
  かえしし人をしのびつつ

いまも恨みの衣川(ころもがわ)
思い返せばいにしえの
心もとけぬ舞の袖
返すがえすも恨めしく
吹雪とまがう花あらし

  しずやしず しずやし
  しずのおだまきくりかえし
  むかしをいまになすよしもがな




~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~



ik_48静御前のことik_48


静御前は、磯禅師を母とする京の白拍子。

「雨icon03乞いの神事」を兄・頼朝の代官として入京していた義経も見物しており、
二人が初めて出会ったicon06と伝えられている。(静16歳ごろ)
源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、
義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。
吉野で義経と別れicon07京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、
山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、鎌倉に送られる。(静20歳ごろ)
源頼朝に鶴岡八幡宮での舞を命じられ、義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、
妻の北条政子がとりなして助けられる。このとき、静は義経の子を身籠もっており、
頼朝は女子なら助け、男子なら殺すと命じるが、男子ik_92を出産。
安達清恒が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。
磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
後に静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子が多くの重宝を持たせたという。


静のその後は不明。



こちらがわかりやすいかも。 →  静の舞





ik_48鶴岡八幡宮社前で静が唄った唄ik_48



吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき

(歌意:吉野山の白雪を踏み分けて山の奥深く入っていってしまったあの人が恋しい)
吉野山の白雪を踏み分けて奥州に消えたあの人(義経)の跡が恋しく思われる。



しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな

(歌意:しず布を織るために糸を巻くおだまきのように繰り返す、昔であったらどんなに良いことか)
静、静、と繰り返し私の名を呼んだあの人が輝かしかった頃に今一度、戻りたいものだ。



~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~



女性として...切ないですねicon11 


でも、か弱さでなく、凛とした強さを感じます。
白拍子として、義経の愛妾としてのプライドをもって臨んだ舞だったにちがいありません。





同じカテゴリー(曲のあれこれ)の記事画像
10年近い時を超えて感動を再び!
大切な人を想う日
五線譜から箏(こと)譜に変換!
ご一緒しませんか~~?
千本桜♪

Posted by yururira at 12:15 │曲のあれこれ